清流を湛えて、島原を讃える
湧水と歴史の街
武家屋敷は、島原城の西側に位置し、長さ400mほどの下級武士の住まいがあった屋敷町です。
足軽・鉄砲組が住んでいたことや屋敷が碁盤の目のように綺麗に並び、造成当時、隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷が見渡せたことから”鉄砲町”とも呼ばれます。
町筋の中央に流れる清水は北西の「熊野神社」を水源とし飲料水として使われ、水奉行を置いて厳重に管理されていました。
三つの屋敷を一般公開
鳥田邸
材木奉行・宗門方加役・船津往来番などの重職のお屋敷
※加役とは本職以外の臨時に務める役
鳥田家は松平藩主の草創以来の古い家柄で、藩主に仕えて三河国吉田、丹波国福知山と転じ、寛文9年(1669年)に島原に入りました。歴代地方代官・郡方物書など勤めましたが、幕末には材木奉行・宗門方加役・船津往来番などの重役についていました。
篠塚邸
郡方祐筆(書記)のお屋敷
この屋敷に住んでいた篠塚順右衛門は、松平藩主の三河(愛知)時代からの家臣で、藩主に随行して島原へやってきました。明治時代まで11代続き、主に郡方祐筆(書記)や代官などを勤めていました。
山本邸
砲術師範の屋敷
ここに住んでいた山本家の初代佐五左衛門も松平藩主の三河(愛知)時代からの家臣で、藩主に随行して島原へやってきました。代々砲術師範として藩の重職を歴任し、幕末まで前後13代の城主に仕えました。17石2人扶持で、下級武士には珍しいといわれるこの門構えは、藩主から特別に許されたものだそうです。
基本情報
- 入場料
-
無料
- 住所
-
長崎県島原市下の丁
- アクセス
-
島原城から徒歩10分
- 営業時間
-
9:00~17:00
- 開館について
-
年中無休