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ここが好き!私のまち

2017.06.19市民からも慕われる島原城

毎日、島原城から元気をもらっていますよ

島原城とともにあるまち

島原はお城を中心に歩いて巡れるまち。今風にいえばコンパクトシティーですね。まちからは一日中、どこにいてもお城が見えるんですよ。私はお城の近くで暮らしています。朝起きたら氏神様の「猛島神社」へお参りに。その後、島原城をぐるりとまわって一日がスタートします。夜は、ほろ酔いで白々としたお城を見上げながら大手へ。屋台でラーメンを食べてシメます。

元旦は島原城が解放され、お城の中から初日の出が見られます。今年は天候に恵まれて、有明海から昇る朝日がうまい具合に眺められましたよ。私はお城を中心として、お城とともに生きていますね。


心のよりどころとなる、市民のお城

島原城は今から400年ほど前にできました。一度は取り壊されたものの、その当時のままのお城が今も息づいているんです。

お城が取り壊されたのは、明治になってから。西南戦争を代表するようないさかいが、九州各地にありました。そこで、明治政府に対抗する不平士族たちの拠点とならないよう、お城を解体したのです。

昭和に入ってお城の再建が進みます。江戸時代に生まれて、解体前の島原城を記憶している方々が、昭和初期にはまだ生きていらっしゃいました。当時の学校の先生たちがその方たちに聞き取りをして、お城の絵を描き残しています。

また、島原には「肥前島原松平文庫」に旧島原藩主松平家が代々集めてきた古文書資料が残っています。そこにお城の寸法がわかる資料も大切に保管されていました。

昭和39年の東京オリンピックに向けてお城の復興ブームとなり、国からお城の再建予算として9,000万円が入りました。市民も大いに乗り気で3,500万円もの寄付を集めています。

お城の絵と松平文庫の資料、そして市民の思いが集まった寄付によって、昔と同じ島原城を再現できたのです。昔はお殿様が「さあ作れ、さあ作れ」といってできた城ですが、現在のお城は市民が自分たちで建てたんだという思い入れがあります。


歴史を通して郷土愛を育てていきたい

元々は中学校の教師をしていました。その時は、オリンピックの後の高度経済成長期。地方は都市の動力の供給源となってしまったんです。どんどん教え子が都会に出ていき、過疎化が進みました。

そこで、ただ歴史を教えるのだけでなく、郷土愛を育てていこうと思ったのです。「都会に出ても島原を誇りに思って島原の自慢をしてほしい、島原にまた戻ってきてほしい」。そんな思いで、島原の歴史をひもとく本の執筆をはじめました。

教師を定年退職するころに、雲仙普賢岳の災害がありました。全国からお見舞いや励ましがあり、そのお返しをしたいと、観光案内のガイドをはじめ、歴史案内もするようになったのです。お城巡りや、被災地を訪ねるコースなど、島原はいろんな側面があって飽きさせません。お客様の要望にあわせて、いかようにもアレンジできるんですよ。

島原城で開催される市民大学で壇上に上がるのも、今年で5年め。昨年は雲仙普賢岳の災害から25年だったので、当時苦労された市民の方々に講師となっていただいて、それぞれの立場からお話ししてもらいました。「お城は市民が集まるところ」というのも島原ならではですね。島原城から毎日元気を与えてもらっていますよ。


プロフィール

昭和10年に島原市で生まれた松尾卓次さん。社会科教師として中学校で勤務し、現在は島原城資料館専門員、島原文化財団保護委員会会長。著書に「おはなし島原の歴史」「島原街道をいく」「長崎街道をいく」などがある。